三条伝統刃物の歴史について

韮澤刃物製作所

三条刃物について

三条刃物の歴史

新潟平野の中央、現在では県央とよばれる地域に、
五十嵐川と信濃川と合流する地点に人口85000人の
三条市がある。

 

三条は兵庫県の三木とともに
日本有数の刃物産地である。

この三条刃物は近世にはじまった和釘製造から展開したもので、その後、 幾度かの生産内容や経営形態の変化を経て越後の代表的な刃物産地として発展している。

 

三条市は現在、作業工具・家庭金物・建築金物などの
金属関係工業が大きく発展し、
刃物の金属関係工業全体に
占める割合は低くなっているが、


その歴史の古いこともあって刃物が三条金物発展の重要な基盤になったものである。

 

刃物工場数も多く、他品目の刃物生産が行われている大産地であるとともに、 三条の刃物卸売商が越後の各産地の刃物を集荷販売したことから越後の刃物にとって三条の果たした役割は極めて大きい。

三条刃物の展開過程

刃物の基盤としての和釘

貧農救済の和釘・・・越後山脈に源を発する五十嵐川は、 魚沼丘陵を横断して新潟平野に出ると急速に運搬力を失って乱流し、そこに広い低湿地を形成した。 このような地理的位置から治水対策の不十分な近世では、幾度かの洪水が発生し、農民は疲弊し多くの貧農を生んだ。

慶長十三年(1608年)この地域は幕府の直轄領となった。 寛永三年(1625年)から五年までの間、三条城に在住した代官大谷清兵衛は同じ低湿地である燕とともに、 この貧農を救済するため、江戸から釘鍛冶職人を招き、その製造を農民に指導し奨励した。

このことによって三条及び燕では農村の副業として釘製造が普及し、 三条の葉愛は特に洪水の頻発する五十嵐川の右岸地域である一ノ木戸・田島等の農村地域で和釘の製造が盛んになった。

和釘は熱した鉄を打ち延ばして作ることから刃物類と違って製造工程が単純で技術を要することも少なく、 農村の副業的生産を可能にしたものだった。

和釘の原料である鉄は周辺地域の屑鉄が再利用され、 釘の鍛造に必要な燃料は五十嵐川上流の山間の村で焼かれた鍛冶炭(かじご)といられる軟らかく、 細かい木炭が使われた。この鍛冶炭は五十嵐川上流の大谷地の他、五十嵐川の支流である鹿熊川の落合から積荷され、 川船で一ノ木戸の枝八河戸(えだはちこうど)で陸揚げされたものを釘鍛冶が使用したものであった。

このような農村の副業であったことや、原料鉄の様子からもこの磁気に生産された釘の生産量は量的には少ないものであったことが推察される。

農村の和釘専業

江戸時代の身分制度の厳しい社会では、それぞれの身分から逸脱は制限され、 特に農村においては、米の生産を確保することからも稼動能力の低いもの以外は農民の商工業への転業を強く規制した。

寛文五年(1665年)刊の「穴さがし」にも次のような記載がある。

「村方にて鍛冶、紺かき、桶しめ、酒しめ、麹起しを為さんとする者は、 病身にて農業の稼ぎいたし兼ねるに付、何の工業を稼ぎたしと領内の役所へ定法文言にて願い出し、 さて其小頭へも手を廻し、すべて聞済となるや、ばんご、藍かめ、大鉈、しめ物、元米などについて幾分の役銀役銭を取り立てられたり。」

したがって当時の一ノ木戸・田島等の農村では釘鍛冶は副業としては広がったが鍛冶を専業とする専業鍛冶の出現を見るまでには至らなかった。
しかし万治元年(1685年)の「三条町検地帖」には「鍛冶町」の町名が出ており、二十九名の屋敷持の記載があることから、 当時の鍛冶町には鍛冶専業の地域集団が形成されていたことが推察されるのである。

和釘から刃物へ

加治町と刃物・・・村井益男「越後三条の金物工業」によればこの鍛冶町は城下町としての職人町で鍛冶の集団地域として発展し、 後の三条刃物鍛冶発祥地となったといわれているが、城下町の職人であったか否かは別としても当時すでに鍛冶町に専業鍛冶が存在したことは事実と見られる。

渡辺行一「三条の歴史」によれば寛文年間(1661〜1672年)には鍛冶町に二十数戸の鍛冶専業が存在し、 一ノ木戸には古鍛冶町として鍛冶専業が十三戸発生したとされている。

また享保三年(1718年)の裁許書絵図には鍛冶町の他、 一ノ木戸に「鍛冶町裏田場」の記載があって鍛冶町とともに一ノ木戸における「古鍛冶町」の存在を示している。

このように当時三条では五十嵐川、信濃川合流点地域の町部である鍛冶町と、 一ノ木戸を主とする農村部である古鍛冶町の、二つの鍛冶専業地域が存在したが、 この二つの鍛冶町はそれぞれ生産内容が違うものであった。
農村地域である一ノ木戸の古鍛冶町では鎌・包丁の刃物が生産されていた。

職人町から展開したといわれる鍛冶町が鎌・包丁の刃物を製造し、 農村の副業から発展したことは極めて対照的で、発生過程の違うこの津辰の地域の生産内容の相違は特に注目されるところである。

三条包丁